真田幸村の名で知られる真田信繁 その家紋の六文銭の意味は?

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大坂夏の陣の奮戦で名高い真田幸村こと信繁。 その家紋や戦陣で掲げる旗印といえば、穴あき銭を六枚並べた六文銭、六連銭と呼ばれるものです。

真田幸村の代名詞ともいえるこの六文銭はいつから、どんな理由で使われるようになったのでしょう。

伝説的な六文銭の由来

真田家が六文銭を使うようになったのは、子供時代の真田幸村の知略を記念して使われるようになったのだという説があります。

武田信玄に帰属する信濃の国人衆だった真田家は、武田家滅亡後は北条氏政の軍に領地をおびやかされることになります。

北条氏政の弟・氏邦率いる大軍に追われた真田昌幸が、居城の信州上田城を前にして取り囲まれた時、当時まだ幼名の弁丸を名乗っていた幸村は白生地に永楽通宝の絵を描かせ、それを武将たちに旗印として持たせて夜討ちをさせます。

この永楽通宝は北条家の重臣・松田憲秀の紋所であったため、奇襲を受けた北条勢がすわ謀反かと驚いた隙に囲みを解いて脱出に成功します。 真田昌幸はこの功を賞し、幸村に六文銭を旗印とするよう命じたというものです。

いかにも軍談ものや講釈に出てきそうな話で、まずは後世の創作でしょう。

同じような由来で、永楽通宝の旗を六旒作り、これを六隊の部隊に持たせたため、銭の枚数が六文銭になったと解説していることもあります。

また、真田氏が六連銭を用いたのは、幸村の祖父で武田二十四将に数えられる幸隆が、武田晴信に仕えた時という説もあります。

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六文銭は主家の紋だった

信濃国小県郡を領地とした滋野氏という名族があります。 滋野氏の出自は、信濃国海野庄に住した清和天皇の第4皇子貞保親王で、その皇子の目宮王の子・善淵王の代に滋野姓を賜ったとされています。

その後、滋野氏嫡流は後に海野氏を名乗り、これが真田氏の祖となります。 この海野氏とその庶流が用いていた紋や旗印に、六文銭や銭を丸に変えた六連点などを用いていたことがわかっています。

真田家の六文銭はこの海野一族に由来するものと考えるのが妥当でしょう。

仏教的な意味を持つ六文銭

では海野氏はなぜ、穴あき銭が六個という珍しい意匠を紋にしたのでしょうか。 それは仏教でいうところの六道銭を表しているのだろうと考えられています。

六道銭は、人が死んだ後に渡ってあの世に行く三途の川の渡し賃で、六という数字は人が地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の六つの世界で輪廻転生をくり返す六道輪廻に由来するものです。

つまり、三途の川の渡し賃である六文銭を身につけたり、旗印にして示すことにより、戦場にあっても死を恐れないという気概を知らしめたのではないかと思われます。

これを裏付けるように、もともと真田家の家紋は結び雁金という紋で、合戦の場に臨む時だけ替え紋として六文銭を用いたという話もあるのです。 当初は戦場だけで使われていた六文銭は、幸村の兄の伸之によって江戸時代を通じて受け継がれ、逆に結び雁金が替え紋になっていきました。

六文銭の評価が高まり、武勇の証として使われるようになったとしたら、それはやはり幸村の大坂の陣での戦いぶりと無縁ではないでしょう。

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