真田幸村の子孫はあの芸能人!?

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真田幸村といえば、2016年の大河ドラマの主人公という事に決定しました。真田幸村とはどんな人物なのか。子孫はいるのかという事をまとめてみました。

真田幸村とは

真田幸村こと真田信繁は真田昌幸の次男として1567年に生まれたとされています。真田氏は信濃国の国人衆で武田信玄の信濃進出に伴い傘下に入ったようです。

真田幸村という名は死後に生まれた?

真田幸村という名で知られている戦国武将ですが、実は真田信繁というのが正式な名前になります。

本人が書いたとされる書状でも真田信繁という名が残っており、真田幸村という表記は残っていません。

しかし、この幸村という名前は死後100年以内に広まったと言われており、何故死後に幸村となったかは分からないというのが実情のようです。

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真田裕貴が子孫?

真田幸村の子孫として言われているのが、DeNAベイスターズや読売ジャイアンツに所属していた真田裕貴選手と言われていますが、実際のところはどうなのでしょうか。

真田幸村自身は大坂夏の陣で四天王寺近くの安居神社境内で打ち取られたという風に伝えられていますが、子孫は多く残っており正室と3人の側室との間に男女合わせて11人の子を残しました。

長男 真田幸昌

正室との間に生まれた長男の真田幸昌は父である幸村とともに大阪夏の陣で戦うものの大坂城が落城の際に場内におり、主君である豊臣秀頼の後を追い切腹を行なったそうです。

生まれたのが1601年または1602年と言われており、大阪夏の陣が1615年という事で長男幸昌の血筋は途絶えているのではないでしょうか。

次男 真田守信

次男の真田守信は幸昌と同じ正室の子であり、大阪夏の陣の際にはまだ3歳という年齢でした。そのために伊達家の家臣であった片倉重長により助けられ片倉家の家臣として仕えた後に、300石を与えられ仙台藩士として仕えたそうです。

三男 三好幸信

三男の三好幸信は真田幸村が討ち取られたあとに側室との間に生まれた子供になります。生涯、真田性を名乗ることはなく、出羽亀田藩に380石で召し抱えられたそうです。

四男 真田之親

一番記録が残っていないのがこの人物で現在までに母親が誰かというのが分かっていません。真田幸村が九度山に蟄居中に百姓の娘に産ませた子ではないかというのが現在までに言われている説になります。

この子孫は明治時代になって、真田という名字に戻したという記録が残っています。

まとめ

真田幸村の子孫とされる真田裕貴選手ですが、子孫というのが正しいならば、次男または四男の血を引いているという可能性が高そうですね。

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