徳川頼宣の人生の師は何と驚きの真田信之!?

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徳川頼宣と言えば、家康の息子にして紀州徳川家の始祖となった人物で、真田信之はと言えば真田幸村の兄でありながらも徳川家康に仕えた人物です。

つまり、2人とも家康つながりというわけです。

この2人、意外に接点があるようですよ。どういうことなんでしょうか。

頼宣は信之を尊敬していた!?

徳川頼宣は、1602年に徳川家康の十男として生まれました。後の紀州徳川家の祖で、8代将軍吉宗の祖父にあたります。

1614年(慶長9年)に大坂冬の陣で初陣を飾り、翌年の夏の陣では、天王寺・岡山の戦いで活躍しました。

夏の陣においては先陣を希望しましたが却下され、涙を流して悔しがったという逸話があります。この時、家臣の松平正綱が「まだお若くていらっしゃるから、この先いくらでもチャンスがある」と慰めると、頼宣は「14歳は2度ないのだ!」と怒ったといいます。そんな頼宣の血気を家康は誉めたそうです。

一方、真田信之は1566年(永禄9年)に真田真幸の長男として生まれました。一時は徳川氏と敵対するも、やがて家康に仕えるようになり、父や弟とは袂を分かちます。関ヶ原の戦いの後は上田藩主となり、後に松代藩に封ぜられ、93歳という長寿を全うしました。

信之は長い戦乱の世を生き抜いており、頼宣が生まれたときにはすでに多くの経験を積んでいました。

そして、頼宣の父:家康のこともよく知っていたことでしょう。頼宣は前述の逸話のように、勇気ある活発な人物のようでしたので、戦国時代を経験した貴重な武将である信之を尊敬していたのだと思われます。

後に、頼宣は信之に二男の具足親になってくれるよう頼んでいます。具足親とは元服する男子に甲冑を着せる世話をする役目で、武勇に優れた人物がこれを行いました。このことからも、頼宣が信之の武勇をかなり尊敬していたことがわかります。

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2人の接点のキッカケ

頼宣は、信之をよく自邸に招いて話を聞いていたという逸話が、戦国時代の武将たちの言行を集めた「名将言行録」に記されています。

家康の生前の様子を尋ねた頼宣に対して、信之は「紀州殿(頼宣)は諸事取り回しの手腕は権現様(家康)にひけを取らないが、侍の使い方は及ばない」と答えます。

続けて、「私は紀州殿の2割ほどの財産しか持たないが、私のために討死してくれる侍が200人はいます。紀州殿はいかがか?」と問い返し、頼宣は返事ができませんでした。しかしこれ以降、信之を師とも仰いで尊敬を深めていったのです。

その後、信之にならって死をも恐れぬ有能な士を召し抱えていると胸を張った頼宣ですが、信之はあまり良いこととはいえないと言います。

驚く頼宣に、信之は「有能の士が良い働きをしても、子供が同じように働くとは限らないし、知行を減らせばもっと働かなくなります。ですから、家来の子を若い頃から取り立てて徐々に役目と知行を与えてやれば、みな働くようになり、一族も希望を持って働くでしょう」とアドバイスを送ったのです。

この後に、紀州徳川家では家来の子息や身分の低い者を教育し、人材を育てるようになったそうです。

まとめ

頼宣からすれば、信之は父親のような年齢です。頼宣の実父家康は祖父と言ってもいいような年齢でしたし、十男の彼からすれば、雲の上の人だったことでしょう。

そんな父を長く知っている「信濃の獅子」信之に憧れたとしても、何ら不思議はないと思います。

信之を師と仰いだ彼が善政を布いたことは、すなわち信之が思慮深く聡明な人物であったことの裏付けですね。

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xiao

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歴史と犬の話題があれば生きていける、そんな人間です。
平安時代と戦国時代が好きですが、調べ出したらどの時代でも面白いです。歴史って本当に面白いものですね。
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