佐久間象山には耳がない!?

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吉田松陰や勝海舟、坂本龍馬ら明治維新を担う人材を門弟とした佐久間象山。

彼には耳が描かれていない肖像画があります。

象山とはどのような人物だったのでしょうか。

自称「国家の財産」

象山は1811年、信濃(現在の長野県)松代藩士の長男として生まれました。

14歳で詩文を、16歳で経書、和算、水練を学び、22歳のとき江戸に出て、佐藤一斎に朱子学を学ぶと、28歳で江戸に私塾「象山書院」を開きました。

31歳のときに仕えていた松代藩主・真田幸貫が老中兼海防掛に任じられたのをきっかけに象山は西洋兵学を学び始めます。その後『海防八策』を献上、高島秋帆の技術を取り入れつつ大砲の鋳造にも成功し、その名を高めました。

以後、洋学に興味を持ち、指示電信機による電信や、ガラスの製造、地震予知器の開発、牛痘種の導入などその才能を多岐にわたり発揮しています。

他にも、和歌、書画、漢詩にも長けていた象山は自らを「国家の財産」と称し、坂本龍馬に「僕の血を継いだ子どもは必ず大成する。そのため、僕の子どもをたくさん生めるような、大きな尻の女を紹介してほしい」と頼んだそうです。

確かに象山が才能のある人物だったことは間違いありませんが、ここまではっきりと自分で言いきってしまうのはいかがなものでしょう。こんな性格だったために彼を嫌う人も少なくなかったようです。

ちなみに象山の血を受け継いだ期待の息子・啓之助は父譲りの傲慢さで素行が悪く副長・土方歳三や沖田総司から目をつけられ、新撰組を脱走しています。維新後は「象山の息子」というコネで司法省に出仕しましたが、警察官と喧嘩して免職になるなど、残念ながら象山が期待したようには大成しなかったようです。

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耳のない象山の肖像画

象山の肖像画の中には耳が描かれていないものがいくつかあります。しかし、耳が描かれているものもありますから、実際に耳がなかったわけではなさそうです。

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正面から見ると耳が見えなかったということのようで、象山の親友の御用絵師・三村晴山は「耳の見えない人は死後、その名の現れる相貌だ」と評し、そのことをいたく喜んだ象山は「俺の耳は後世にその名を知られることを物語るものだ」と耳を撫でていたといわれています。

耳一つとっても自信家の象山。象山に耳が描かれないのは、「人の言葉に聞く耳を持たなかったから」とも言われているそうです。

和宮には左手がない?

幕末期に体の一部がなかったのでは?と考えられている人物として有名なのは13代将軍・家茂の正室で孝明天皇の妹・和宮です。彼女は左手がなかったのではないかといわれています。

実際、彼女の姿を描いたものには左手が描かれていません。

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しかも、和宮に関しては、その遺骸が一度発掘・改装されていますが、その際左手の手首から先の骨が見つからなかったため、本当に左手が何らかの理由で欠損していたのではといわれています。

しかしながらこの「和宮の左手の謎」は、さらに「和宮替え玉説」を生みだします。江戸に嫁ぎたくなかった和宮は江戸に向かう道中で別人と入れ替わったというのです。他にも、左手は分骨されたため遺骸から見つからなかったとか、そもそも分骨先は替え玉となった人物の家だとか、謎が謎を呼んでいます。

さらに明治に撮られたといわれている和宮の写真には左手が写っていて、あったのか、なかったのか、和宮なのか、和宮じゃないのか、謎は深まるばかり。

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そもそもこの和宮の写真も和宮じゃないともいわれているそうです。真実はいずこに。

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