坂本龍馬が構想した大政奉還とはどんなものだった?

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慶応3年(1867)、江戸幕府15代将軍・徳川慶喜は政権の返上を明治天皇に上奏しました。いわゆる大政奉還です。

この出来事の裏で活躍したのが、薩長同盟で有名な坂本龍馬でした。

龍馬はなぜ大政奉還を考えたのでしょうか。

大政奉還が最優先

大政奉還という考え方は1867年に龍馬が後藤象二郎に示したとされている船中八策のなかに見ることができます。

龍馬は8つのうち一番初めの項として、

一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。

を挙げています。

海援隊士・長岡謙吉の書き留めたとされる船中八策自体の書面が現存していないことから、創作ではないかとも考えられているようですが、その後龍馬自身が記述した「新政府綱領八策」にも同様の記述が見られます。

当時の日本には、不平等条約の改正や軍事力の増強、金銀交換比率の変更などの政治的課題がありましたが、龍馬はそれらに先んじてまず大政奉還をすべきと考えていたことがわかります。

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新政府綱領八策にある「○○○」

龍馬がなぜ大政奉還を考えたのかという理由が、「新政府綱領八策」にある「○○○」に隠されていると考えています。

新政府綱領八策には8つの項目を挙げた上で、最後に

○○○自ラ盟主ト為リ此ヲ以テ朝廷ニ奉リ始テ天下萬民ニ公布云云

と記しています。なぜ伏字となっているのかについては、見る人が自由に名前を入れることができるようにという説や、まだ決まっていなかったという説があります。

そんな中、大政奉還後、龍馬と共に「新官制擬定書」(新政府職制案)を起草した尾崎三良が残した『尾崎三良自叙略伝』には徳川慶喜を新政権のNo2に据えようとしたともとれる記述があります。

No1はもちろん天皇ですから、であれば「○○○」は「慶喜公」と見ることができるのです。

あくまでも一つの考え方にすぎませんが、そうであれば龍馬が大政奉還を考えた狙いが見えてくるように思います。

龍馬の狙いとは?

つまり、龍馬の狙いは日本国内で巻き起ろうとしていた内紛を戦闘なしに収めることだったと考えられます。

当時の日本というのは、おおきくみて尊王攘夷派と佐幕開国派に分かれて対立していました。

これを一つにまとめるため、孝明天皇の妹・和宮が将軍・家茂に嫁ぐ公武合体政策も行われましたが、対立は一向に収まる気配はなく、ヒートアップしていたのです。

しかし、外国の脅威が迫る中、このような内紛状態は国自体を滅ぼしかねません。実際、薩長はイギリスの支援を得て軍事力を強化していた一方、幕府はフランスの支援を得て軍備を強化していたのです。

その両者が戦闘となれば、英仏さらにはその他の欧米諸国が日本の国政に干渉する隙をつくってしまう可能性さえありました。

大政奉還の狙いとして討幕派の出鼻をくじくというようなことがよくいわれていますが、龍馬の場合その根底には日本を諸外国から守るため、早急に内紛を納める必要があったことがあると考えられます。

実際、大政奉還により討幕の密勅は延期を余儀なくされています。

内輪もめはもうやめて、みんなで協力して日本を守ろう。

龍馬のそうした願いは龍馬暗殺によっていつしか消えてしまい、日本は鳥羽伏見の戦いへと突入してしまったのです。

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