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聖武天皇が大仏建立をした理由は怨霊退治!?

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文武天皇の皇子として生まれた聖武天皇は仏教に深く帰依し、東大寺盧舎那仏建立の詔を出し、現在では国宝と指定されている大仏を建立しました。

なぜ聖武天皇はこのような大きな仏像の建立をしようとしたのでしょうか?

大仏建立の理由は怨霊退治?

聖武天皇は第45代位天皇として724年に即位しました。それに伴い、皇后には正妻で藤原不比等の娘である光明子にすることを望みました。しかし、皇后は天皇に不幸があった場合、その中継ぎとして天皇に即位する可能性もあることから、皇族出身の者でなければならないとされていました。

ですが、光明子は一番の権力者の娘であるとはいえ、皇族出身ではありませんでした。それを理由に皇后にしてはならないと、皇親勢力の代表者で左大臣であった長屋王が反対していました。

自分たちの妹である光明子を皇后とさせたいと願う藤原武智麻呂・宇合・麻呂・房前(藤原不比等の息子達)は長屋王を失脚させようと画策します。その当時聖武天皇と光明子の第2子で長男であった基王が生後1年足らずで夭折していました。

藤原4兄弟は、これは長屋王が左道を用いて呪い殺したからだと嘘の証言をし、それを信じた聖武天皇は長屋王を討つように命じました。それによって長屋王は自害に追い込まれました。この「長屋王の変」から数年後、世の中に天然痘が流行り、藤原4兄弟は相次いで亡くなってしまいました。人々は皆、この4兄弟の死を「長屋王の祟りだ」と恐れました。

その他にも聖武天皇の治世では、干ばつや飢饉、大地震などに見舞われて多くの死者を出しました。

また、藤原広嗣が九州で反乱を起こし、それから逃れるために天皇は遷都を繰り返し、国家の財政を圧迫しました。こうした世の中の不安を取り除き、国を安定させたいとした聖武天皇は大仏建立の計画をたてたのでした。

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仏像に込めた願い

聖武天皇は仏像を建立することで国家の平安を願いました。こうして聖武天皇により建立された東大寺の大仏は毘盧遮那大仏として造られました。毘盧遮那とは「太陽・光明、華厳経の教主」という意味があります。

また、華厳経にはお釈迦様の身長を10倍にしたものを表すことで、無限大の宇宙を表現するという教えがあります。このことから東大寺の大仏は盧舎那仏像として宇宙そのものの象徴とされました。この盧舎那仏は華厳経では釈迦如来と同一のものであるとされ、一切万物を救済してくださる仏だとされています。

なので、聖武天皇は民衆にもこの仏の救済を与えられるようにしたいと思われたのです。「一枝の草、一把の土」を持って大仏建立を手伝おうとするものがいるならば、それを許せとおっしゃったそうです。また役人は、大仏建立を理由に民衆から無理に税を徴収してはならないとしています。

願いとは裏腹に…

しかし、聖武天皇の想いとは裏腹に、大仏建立は国家の財政を圧迫し、農民の負担は激増したためさらに浮浪者や餓死者が後を絶たない状況に陥ってしまいました。また大仏建立には多くの人民が働かされましたが、作業中の事故や、大仏に使われた水銀による中毒で多くの人命が失われたとされています。

Sakura

投稿者プロフィール

天智天皇~称徳天皇朝が好きな一児の歴女ママです。
夢は奈良の明日香村付近に住んで、その時代の古墳やゆかりの地巡りを満喫したいなと思っています。
皆さんに読みやすく、そして分かりやすく面白い文章をお届けしたいです。

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