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武田家が誇る高坂昌信 逃げ弾正と呼ばれていたのは何故!?

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甲斐の雄、武田信玄の元ではたくさんの名将が活躍していました。

中でも特に有名なのが、いわゆる武田四天王、馬場信房・内藤昌豊・山県昌景・高坂昌信の4武将です。

さらにそのうちの1人である高坂昌信ですが、彼は保科正俊、真田幸隆とともに戦国三弾正とも呼ばれています。

戦国武将として名を馳せた高坂昌信。いったいどんな人物だったのでしょうか。

本名は春日虎綱、名著「甲陽軍鑑」の原作者として伝えられる

まず、高坂昌信という名前ですが、これは江戸時代に書かれた著名な軍学書「甲陽軍鑑」に出てくるものです。本名は春日源五郎虎綱。

高坂の苗字は、ある時期に信濃の国人・香坂氏の養子に入り、香坂虎綱と名乗っていたことが由来とされます。また、昌信は出家後の名前とも伝えられます。

この「甲陽軍鑑」は、春日虎綱が口述したものを虎綱の部下の子孫:小幡昌憲が書き上げたものと伝えられており、全20巻以上の大著です。

この書物には軍学についてだけではなく、信玄時代の様々な出来事や武田家の儀礼などが書かれており、甲斐武田家のことを詳しく知りたい人にとっては、たいへん興味深い書物となっています。

信玄に見い出されて奥近習から出世

さて、そのように武田家に関し、のべ20巻にも及ぶ内容を口述したという彼、春日虎綱は、どんな生い立ちでどんな人生を過ごした人なのでしょう。

甲陽軍鑑ではその生まれを、甲斐国の百姓の出としています。そして父母の死後、16歳の時に信玄公の目に留まり、その奥近習として仕えたのが侍としての出世の初めとされます。

また、通り名として「弾正」を名乗った記録には、1558年(弘治4年)頃のものが確認されています。

武田四天王としての活躍ぶり

春日虎綱こと高坂昌信の武将としての活躍ぶりですが、合戦における華々しいエピソードなどは、残念ですが、特に伝わっていません。

しかし、それは、彼が信玄の死後まもなく滅亡した甲斐武田家の家臣だったせいなのかもしれません。もし、徳川家の代わりに武田家が天下を統一していたとしたら、たくさんの記録が残っていた可能性もあるでしょう。

彼の確かな業績としては、信玄の宿敵である越後上杉家との国境にあった海津城の守備を長らく任されていたということがあげられます。

高坂昌信が守将だった間、海津城側から越後上杉家の信濃侵攻を許したことはありませんでした。

北信濃の押さえとして、睨みを効かせていたのですね。これこそはどんな華やかな軍功よりも、彼が知略や駈け引きにも優れた有能な武将だったことを示してはいないでしょうか。

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戦国三弾正 「逃げ弾正」の由来

また、高坂昌信は「槍弾正」保科正俊、「攻め弾正」真田幸隆(真田幸村の祖父)と共に、「逃げ弾正」としても有名でした。

ちなみに”弾正”は弾正忠(だんじょうのちゅう)の略であり、官位の名前になります。

高坂・真田・保科の3人とも、官位としての弾正忠を正式の名乗りの中に入れており、この事から3人は「戦国三弾正」と呼ばれています。

槍弾正、保科正俊は戦場で自ら槍をふるって戦う時に強いことで有名。また、攻め弾正の真田幸隆は、文字通り攻め上手でした。

そして、高坂昌信が呼ばれたのが「逃げ弾正」。これは、戦の際に逃げ出してしまう臆病な人ということではありません。

むしろ、正反対の意味を持ち「逃げ弾正」の「逃げ」とは、”撤退戦に強い武将”という褒め言葉なのです。

戦において、攻める時には兵に勢いもあり、勇敢に戦うこともそう難しくはないでしょう。

けれども、いったん退く時は色々大変です。逃げ出すように慌てて退いてしまっては、追ってくる敵に勢いを与えてしまいますし、かといって、その場に留まりすぎていたら、今度は無駄に犬死にしてしまう危険ができます。慎重に、かつ敵に侮られず、素早く撤退することが求められます。

高坂昌信は、そんな難しい退却戦の指揮に優れた人だったのです。勇敢で、かつ冷静沈着に行動できた彼は、武将として理想的な存在だったと言えるのではないでしょうか。

ナカガワ マスミ

投稿者プロフィール

戦国時代から昭和史まで、歴史には幅広く興味を持ち、色々調べ出したら止まりません。
合戦の話も好きですが、文化史が特に好き。そういう意味では平安中~後期も愛していますね。
皆様にも是非「歴史って面白いんだ!」と思って頂きたいと思いながら、記事を書いています。応援よろしくお願いします。

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