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新選組 近藤勇の愛刀は本当に虎徹だった!?

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1853年、浦賀沖にマシュー・ペリー率いるアメリカの蒸気船4艘ー黒船ーが来航しました。

江戸幕府瓦解の前兆を告げる不吉な大砲の音が、江戸の喉元、浦賀沖に響き渡ります。

黒船来航から10年、一人の剣術道場の主が仲間と共に中山道を京都へと向かっていました。

後に「泣く子も黙る新撰組」局長となる、近藤勇、その人です。

数々の武勇伝と組織の長としての手腕、そして敵の手に落ち、失意のうちに「斬首」という武士として不名誉な最期を遂げたという、その激動の35年の短くも太い生涯は、後世の私たちへもに英雄譚として伝えられています。

そんな近藤勇の愛刀として伝わる、「長曽祢虎徹」は、いったいどのような刀だったのでしょうか。

虎徹とは~刀の歴史~

越前に住む甲冑師だった虎徹興里は、50代のころ江戸に出て刀鍛冶に転身したといわれています。仏教に帰依し剃髪していたため「虎徹入道」とも呼ばれていた虎徹興里が江戸に来て長曽祢鍛冶集団に入ったのは、1660年ごろと伝えられており、以降約20年の間、刀を作り続けました。

虎徹が刀を作り始めたとされる1660年ごろは、江戸幕府開闢から約60年経っています。幕府は4代目の家綱を将軍とし、これまでの武断政治から文治政治政策切り替えが行われている時代でした。戦がなくなれば、当然刀の使うことが少なくなり、その品質や能力を知る機会が少なくなりました。そこで現われたのが、試刀家と呼ばれる試し切りを行う人です。長曽祢虎徹は、試刀家山野加右衛門らと、切れ味を研究しながら刀を作ったといわれています。

仏門にありながら生涯にわたり、戦うため、人を殺めるためだけに特化した道具を作り続けた虎徹の心理は、今は想像するしかありません。

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近藤勇の虎徹は、偽物?本物?

切れ味に定評がある最上大業物、銘刀虎徹。優れた刀を持つことは、武士の憧れでもありました。

近藤勇も、虎徹に魅入られた一人です。

しかし、人気があるからこそ、贋作も多いのが世の常。はたして近藤勇の虎徹は本物だったのでしょうか。

近藤勇が、虎徹を持っていたということを記す資料があります。文久3年10月に、故郷武州に近藤が送った手紙には「大小虎徹入道」と、その保有を明記しています。大小の「小」とは武士の正式な帯刀形式とされる「二本差し」のうちの一本、脇差のこと。

また、かの有名な池田屋事件のあとに、郷里へと送った手紙に、他の隊士の刀には傷がついたが自分のは虎徹だから無傷だった、「下拙の刀は虎徹故にや、無事に御座候」、と記されています。

一方、近藤勇に刀を売ったとされる刀屋が、「近藤勇に清麿を虎徹だといって売った」と自身の養父に語ったとされる話や、当時でもすでに国宝級とされていた虎徹なので、一道場主の近藤勇が持てるようなものではない、という説などが広く流布されていて、「近藤勇の虎徹は偽物らしい」とも言われています。

近藤が愛したとされる「長曽祢虎徹」、現物が残っていないとされます。真実はいずこ、すべては憶測の域を出ないのが現状です。

入手の方法は諸説あり

その入手方法もはっきりとしていません。

虎徹は近藤が「将軍家から賜ったもの」とする説、斎藤一が掘り出したとされる説、新撰組のスポンサー的位置づけの鴻池善右衛門からの拝領だとされる説、三つの説があげられています。

これらの説は、新撰組研究の草分け的存在、小説家子母澤寛の「新撰組始末記」によります。また「新撰組血風録」「燃えよ剣」の司馬遼太郎も、この三説をとっています。

虎徹の今

実際に近藤勇が使っていたとされる虎徹は、見つかっていません。

どこかの神社に奉納されているとか、戦火で焼失してしまったとか、戦後アメリカに流れたとか、さまざまな憶測がなされています。

「虎徹の贋作だったのだ」、「いや実は無銘刀だったらしい」、「偽物を掴まされるなんて、いっぱしの剣士としては人が良すぎる」

近藤勇に対して、こんな評価も聞こえてきます。

しかし、近藤勇の愛刀は、確かに虎徹でした。

彼が虎徹と信じ、信頼し、腕を磨き、また刀もそんな彼に応えたとしたら。

それはもう『近藤勇の愛刀は虎徹である』そう言いきっても良いのかもしれません。

同、長曽祢虎徹作の刀剣は、東京都の「刀剣博物館」、山口県の「岩国美術館」で見ることができます。

北村美佳子

投稿者プロフィール

いにしえに想いを馳せて、一人涙し、一人ニヤつく。そんな日本史をこよなく愛するライター。重度の活字中毒でもある。愛読書は梅原猛氏の本。
日本史が好き過ぎて、記事を書きながら悶絶することも多々あるけれど、いくつになっても好きなものは好きだと言える女でいたい、そう願って邁進中であります。

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