関ヶ原の戦い 東軍に寝返りをした武将たちの諸事情に迫る!

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関ヶ原の戦いの戦局の行方を決めたとも言われる、小早川秀秋をはじめとした武将たちの寝返りですが、これはどうして起こったのでしょうか。

寝返りという、命を懸けた決断の裏には、何か事情があったのではないかとも思ってしまいます。

「関ヶ原・寝返り」というとどうしても小早川秀秋だけがクローズアップされがちですが、ここでは、彼を含めた他の武将たちについても見ていきたいと思います。

関ヶ原の戦いで東軍へ寝返った武将たち

関ヶ原の戦いで、西軍から東軍へ寝返った武将たちの顔ぶれは以下の通りです。

  • 小早川秀秋
  • 脇坂安治(わきざかやすはる)
  • 赤座直保(あかざなおやす)
  • 小川祐忠(おがわすけただ)
  • 朽木元綱(くっきもとつな)

彼らはすべて松尾山に陣を敷いており、ほぼ一ヶ所に固まっていました。

寝返った武将たちの決断の理由

寝返った武将たちには、それぞれの理由や事情がありました。

小早川秀秋

彼の場合、家老の稲葉正成(いなばまさなり)と平岡義勝(ひらおかよしかつ)、その親戚の黒田長政らによって、予てから東軍への寝返り工作が行われていました。そして、黒田長政経由で徳川家康に寝返りを連絡していたのです。それを聞いた家康は、秀秋の軍へ軍監(お目付け役的なもの)として奥平貞治(おくだいらさだはる)を派遣していました。

また、合戦の開始後なかなか寝返ろうとしない秀秋に対し、家康は陣に向かって鉄砲を撃ち込むように指示したと言われています(諸説あり)。これによって秀秋がようやく行動を起こしたとも言われています。

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朽木元綱

彼が寝返りを決めた理由には、いくつかの説が伝えられています。

  • 小早川の裏切りによるなし崩し的なもの
  • 元々、藤堂高虎を通じて寝返りを約束していた
  • 戦い開始後、寝返りの直前になって、家康に書状を送った

この内、藤堂高虎を通じて寝返りを約束していたというものですが、朽木家の系譜に「旧領が安堵された」とあるため、それが根拠になっているとも考えられています。

戦後、減封されていますが、後にそれが返還されているのも証拠だと言われています。

小川祐忠・赤座直保

彼らの寝返りの理由に関しては、そばにいた小早川軍が寝返って山を駆け下り、大谷吉継軍に攻め込んでいったため、それにつられた感じであったとされています。

そのため、戦後には改易されています。

脇坂安治に関しては特殊な事情があるため、次の項目でご説明しましょう。

やむなく西軍に組していた人物も?

脇坂安治は、元々東軍に付くつもりでいました。その前から彼は徳川派だったのです。秀吉の死後に家康と前田利家が対立し、諸将がそれぞれの屋敷に集結する騒ぎがありましたが、その時も彼は徳川邸に参上していました。

ところが、開戦当時に彼は大坂に滞在していたため、西軍に付くしかなかったのです。

また、彼は藤堂高虎より調略を受けていたとも言われています。それもあったか、小早川が寝返った際に共に突撃しました。

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まとめ

自分の命や家族、家臣とその家族のことを考えると、寝返りというのは想像を絶する大きな決断だったのでしょうね。

小早川秀秋は、寝返りの代償と言っては難ですが、その後若くして狂死してしまいました。

小川祐忠・赤座直保などは、寝返ったけれど所領没収という目に遭っています。「寝返ってくれたおかげで戦に勝てたぞ!よくやってくれた!ありがとう!」では済まず、こういうことにも予めの根回しが必要なのだなと強く感じた次第です…。

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xiao

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投稿者プロフィール

歴史と犬の話題があれば生きていける、そんな人間です。
平安時代と戦国時代が好きですが、調べ出したらどの時代でも面白いです。歴史って本当に面白いものですね。
「トリビア」な話題を、みなさんにわかりやすく面白く読んでいただけるように頑張ります。

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