桂太郎はイケメンだった!? 生涯3度の結婚をした彼の素顔とは

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長州藩(現:山口県)の藩士の嫡男として1847年(弘化4年)に生まれた桂太郎は明治維新後ドイツへ留学し、山県有朋のもとでドイツ式軍制を作り上げました。

その後順調に出世を重ね、3度内閣総理大臣に就任しました。通算の首相在職日数は歴代一位(2886日。ちなみに小泉元首相は1980日で歴代5位)に輝いている桂太郎。

その写真ではイケメンという風に感じますが、当時はモテたのでしょうか?

桂太郎モテ伝説

桂太郎の肖像としてよく使われるのがこちらの写真だと思います。

出典:桂太郎 - Wikipedia

出典:桂太郎 – Wikipedia

イケメンというか男らしい、整った顔立ちをしていることがわかりますね。現在だとダンディなおじさまとして、年上好きの女性にモテそうな感じですね。しかし、桂が青年時代を過ごした明治時代では、桂はモテていたのでしょうか?

明治維新後、日本人の美意識も西洋化され、現代でイケメンと言われる桂も当時からモテていたみたいです。また桂は気配りができる性格であり、いつもニコニコして相手の肩をポンと叩いて距離を縮めるということが多かったそうなので、「ニコポン宰相」と呼ばれました。このような人懐こい性格から、女性だけではなく男性からも慕われていたとされています。

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モテた由縁? 3度も結婚を!

実は桂は3度の結婚をしています。最初の結婚は1874年、桂27歳の頃。この時の妻歌子は1886年に没しています。

二度目の結婚はその最初の妻が亡くなった年で、二人目の妻の名前は貞子。彼女も1890年に亡くなっています。三番目の妻可那子とは1891年に事実婚、1894年に結婚。しかし、彼女も1940年に没しています。三人の妻たちの間には9人の子どもがいたそうです。離婚ではなく死に別れで三人もの奥さんをもらえたのは、やはり桂がモテたからなのではないでしょうか。また三番目の妻との婚姻生活を送っている時には、芸者であるお鯉という女性を愛妾としています。

お鯉は身体が弱かった妻・可那子に代わって桂の身の回りの世話をしていたそうで、桂が首相だった頃は総理官邸に「お鯉の間」と名付けられた部屋があったそうです。このように二人は周知の関係であったため、日比谷焼き討ち事件では、このお鯉の住む家も襲撃の対象となったそうです。

明治時代の政治家でモテた人物

では、桂太郎以外に明治時代の政治家でモテたと言われる人はいるのでしょうか。

有名なのは第37代内閣総理大臣に就任した米内光政です。彼は180cmという日本人離れした長身と風貌を持ち、温厚な性格であったため特に花柳界ではとてもモテていたそうです。

佐世保鎮守府長官退任の時には、佐世保駅周辺は彼を見送りにきた芸者でいっぱいだったといいます。また、彼の長男である剛政は父の死後、あちこちで彼の愛人だという女性と会って困ったそうです。

米内と同じように花柳界でモテたのが元帥海軍大将となった山本五十六です。彼は米内とは対照的に160cm、65kgの小太りの体型で、高木惣吉いわく「いかめしくもなければ、颯爽たる男振りというものでもない」と評されていますが、非常にオシャレな人物であったと言われています。

また、女性に対する細かい気配りができ、宴席を盛り上げることに長けていたそうです。愛人の河合千代子には、「姿勢がよく、柔軟性があり、頑固である。社交性があり国際感覚に富んでいた」と評されています。

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Sakura

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投稿者プロフィール

天智天皇~称徳天皇朝が好きな一児の歴女ママです。
夢は奈良の明日香村付近に住んで、その時代の古墳やゆかりの地巡りを満喫したいなと思っています。
皆さんに読みやすく、そして分かりやすく面白い文章をお届けしたいです。

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