加藤清正の虎退治の図の真相は!?

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加藤清正の虎退治はご存じでしょうか?勇猛な絵画が数多く描かれていて、モチーフとなることも多いようです。

そんな清正の虎退治ですが、果たして本当にあったことなのか、考えてみます。

加藤清正の生涯

そもそも、加藤清正という人は、安土桃山時代の武将です。幼少時から豊臣秀吉に仕えました。

賎ヶ岳の戦いでは「七本槍」に数えられ、その他多くの功績があります。1588年には熊本城主となりました。

秀吉の朝鮮出兵により朝鮮にて活躍(このころ虎退治が行われたとされます)。

関ヶ原の戦いでは豊臣側の家臣との確執により徳川側に属しましたが、その後も豊臣家への思い入れは強く、秀吉の旧恩によって豊臣との関係は切れませんでした。

ですが、1611年、熊本へ船で帰国する際病に倒れ、熊本城で亡くなりました。

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虎退治伝説はあったのか

1592年文禄・慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)のころ。清正の陣の近くで人食い虎が出没し、馬を連れ去られたり家臣を殺されるということが相次ぎました。

これに怒った清正は山狩りを行い、1匹の虎を見つけます。家臣は鉄砲で虎を狙いますが、清正は自分の槍でその虎の喉元をついて殺した。

これが知られている清正の虎退治伝説の概要です。あくまで伝説ですので色々な説がありますが、まとめると上記のようなお話になります。

何故虎退治を行ったかなのですが、これは虎「退治」という説と、虎「狩り」という説があります。

危害があるので退治したか、日本にいない虎を腕試しで捕らえたのか。ですが、秀吉が虎の肉を健康のための薬として欲しており、捕らえた虎を塩漬けにして日本に送り、実際に秀吉はそれを食したと伝えられています。

ですので、秀吉の覚えめでたくなるために虎狩りを行った、とも言えるでしょうね。清正だけが虎退治を行っていたわけではないのです。

戦い方

どうやって虎と戦ったかですが、先述しましたように「槍で喉元をついた」となっています。これは清正が「七本槍」として名高い槍使いの名手であるゆえの話でしょう。

清正の虎退治の絵画等を見ますと、大抵槍か日本刀で虎と戦っています。これは絵の構図的な問題と、より勇猛に見えるようにとのことから日本刀を持たせたのでしょう。

ですが最近は「鉄砲で撃った」というのが定説となっています。確かに火縄銃を使ったのは織田信長が長篠の戦で使っていますし、虎退治の概略でも「家臣は鉄砲を使って」しとめようとしたとあります。

ですので、清正も鉄砲を使っても不思議ではないですよね。むしろ槍や日本刀より、鉄砲を使う方が現実的です。

よって、槍で退治したのは清正が槍の名手であることから。日本刀は絵的な問題から。鉄砲が一番現実的である…となりますね。槍か鉄砲を用いて戦ったことになります。

現実の推察

以上のことから、清正は虎退治(虎狩り)をしたでしょうが、それは周囲の犠牲に怒ったからというより、秀吉のために行っていたことだといえます。

さらに槍は「彼は槍で有名だから」という理由であり、実際は鉄砲を用いたのではないかと思われます。

つまり今伝わっている清正の虎退治伝説は、事実を格好良く脚色したもののようです。「実際は違うんだろうな」と思いながら、伝説はある意味「宣伝」として出来あがるのでしょう。

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