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伝説が作る美人の代名詞 小野小町

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小野小町とは、知る人ぞ知る平安時代の歌人で、楊貴妃・クレオパトラとならび世界三大美女の一人とされています。

平安朝を舞台に、華やかで情熱的な歌を数多く詠みました。六歌仙にも選ばれた小野小町の作った歌は、百人一首や古今和歌集に編纂され、現代の私たちもその素晴らしさを味わうことができます。

「○○小町」と言えば美人を表す言葉として、今やすっかり定着していますね。

小野小町=美人

という法則の元となった伝説を、いくつか紹介していきたいと思います。

定説 「小野小町=美女」の出どころは

古今和歌集において、かの紀貫之が、「小野小町は衣通姫(そとおりひめ)の流れなり」と書いています。

衣通姫とは、古事記や日本書紀に出てくる伝説の美女。その美しい輝きが衣を通してまでも出てくることから、衣通姫と名付けられたと言います。

そんな伝説の美女の流れをくむ、とそのように紀貫之に言わしめていることから、小野小町はたいへん美しい人であるという定説が生まれました。

また、

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

(桜の花が長雨に色褪せてゆくように 咲き誇る花のようだった私の美貌も衰えてしまった 愛とか 恋とか 言っている間に)

という歌からも分かる通り、自他ともに認める美しさだったのでしょう。

しかし、実は紀貫之が活躍する時代は小野小町の時代から80年もあとのこと。当時は写真なんてなかったので、単に和歌の美しさを評価した記述が、後世の人に誤って解釈された可能性も否定できません。

衣通姫は、和歌の名手でもありましたから。

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美人すぎる? 小野小町の「さすが!」なエピソード

小野小町ときいて思い浮かぶのは、深草少将との悲恋物語『百夜通い伝説』でしょうか。

多くの男性に求婚されていた小町ですが、中でも熱心だった深草少将に、「百日百夜の間、私のところに一日も欠かさず訪れてください」と求婚に応じるための条件を出します。

百夜というと、一年の約三分の一です。その間、山を挟んだ5キロメートルほどの道のりを、深草少将はがんばって通うのです。

当時は一夫多妻制であり、男性が日にちを変えて複数の女性の元に通う「通い婚」が主流でした。それを百日もの間、まだ妻でもない小町の元だけに通うことになるのですから、これは相当な覚悟と根性が要ったことでしょう。

結果的に、あと一日で満願というところで深草少将は亡くなってしまいました。

また、京都小野の里にある「随心院」には、小町があまたの男性から送られた恋文を埋めたとされる、文塚と伝承のあるものが現存されていますし、数多く残っている情熱的な和歌は、今も多くの女性達の心を打っています。

思わずキュンとなる 小野小町の和歌

平安時代、恋は嗜みといったのは誰だったでしょうか。

いつの時代も、男と女がいる限り、そこには恋愛のドラマが生まれます。

たった三十一文字に込められた思いが、はるか時空を超えて私たちの元に届くのを、不思議と言わずして何と言えばよいのでしょう。

締めくくりとして、恋を経験した人なら、思わず「あー・・・分かるかも」となってしまう歌を一つご紹介します。

有名な歌ですが、恋する女性の心の一コマを見事に切り取った佳作です。切なさにキュンとしてしまいます。

思ひつつ ぬればや人の 見えつらん 夢と知りせば さめざらましを

(愛しい貴方のことを想って眠りについたから、貴方の夢が見れたのかしら あれが夢と分かっていたなら 目覚めたりしなかったのに)

このほかにもたくさんの恋の歌を残している小野小町。

興味のある人は調べてみてください。

美しい世界観にうっとりするでしょう。

北村美佳子

投稿者プロフィール

いにしえに想いを馳せて、一人涙し、一人ニヤつく。そんな日本史をこよなく愛するライター。重度の活字中毒でもある。愛読書は梅原猛氏の本。
日本史が好き過ぎて、記事を書きながら悶絶することも多々あるけれど、いくつになっても好きなものは好きだと言える女でいたい、そう願って邁進中であります。

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