織田信長の血液型はA型だった? 性格的には違う部分も…

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血液型ってとかく話題に上ることが多いですよね。「血液型何型?」と聞いて、そこから話が広がることもあったりして、ちょっとしたコミュニケーションには実に便利です。

で、絶対「確かに●型っぽいね!」という話になったりするんです。

それって、戦国武将にも当てはまるのでしょうか?でも、いったいどうやって血液型を知ればいいんでしょう?

今回は、織田信長の血液型について考えてみます。

織田信長は何型だった?

戦国大名などの血液型は、遺髪や血判から知ることができます。織田信長の場合は、掛け軸についた血液や髪の毛から、A型であったと伝えられています。

しかし、近年になって、それが別人のものだったのではないかという説が浮上してきました。

もし、仮にこれが別人のものだったならば、信長は本能寺の変で死亡し遺体が見つからないため、遺髪で鑑定することができなくなります。血判が頼りになりますが…まだ、確たる証拠が出てこないため、この論争はまだまだ先が見えません。

そのせいか、信長は性格的にB型だという説も出てきているのです。

では、性格と血液型の関係で見ていってみましょうか。

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現代の血液型占いと比較してみる:A型だったら

ではまず、信長の血液型を、一般的に言われているA型として考えてみましょう。

A型の性格のひとつとして、リーダー気質であることや他人には厳しくなってしまうことなどがあります。

まさに信長はリーダーですよね。部下に対しては高いレベルを求めるため、どうしても厳しくなってしまったようです。

また、当時比叡山焼き討ちをしたことが残虐であると言われてきましたが、信長の言い分は「比叡山があまりに堕落している」ということだったので、信長の物差しではそうしたことが許せなかったのではないでしょうか。

一方、譲らない独自の価値観があるのもA型です。彼は新しモノ好きで、いち早く外国の文化を取り入れました。代表的なものが、鉄砲です。他にも、弥助という黒人の部下を持ったりビロードのマントをまとったりと、独自の価値観がなければできないことをやってのけました。

また、内に秘めた優しさがあるというA型。信長にもそういった一面がありました。太田牛一の「信長公記」には、信長の優しさを垣間見ることができるエピソードが収録されています。

美濃と近江の山中に、「山中の猿」と呼ばれる障害のある男性が、物乞いをして暮らしていました。往来の度に信長は彼を見かけており、あるとき木綿を二十反与え、村人たちに「これでヤツに小屋を建ててやり、麦や米を与えてやって欲しい」と言ったのだそうです。

しかし、A型によくあるという「石橋を叩いて渡る」ような慎重さや、冷静で常識的であるという部分は、信長にはなかったようです。

現代の血液型占いと比較してみる:B型だったら

B型は、感性のままに迷いなく行動します。桶狭間の戦いで、奇襲をしかけた信長は、まさに自分の勘によって突撃しました。

また、人の好き嫌いが激しい部分は、B型にあてはまります。豊臣秀吉のように、気に入ったらずっと重宝しますが、いったん嫌いとなると徹底的に嫌いなままです。本能寺の変直前の明智光秀などは、そんな信長の気に入らないになってしまったのでしょうか。

信長の性格を表す言葉に「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」というのがありますね。衝動的に行動に移してしまう性格は、B型の性格と一致するところがあるのです。

良い部分を見てると、好奇心旺盛という部分で、目新しいものをどんどん積極的に取り入れたというところが合致します。

まとめ

こうしてみると、A型でもあるようでB型でもあるような…難しいところです。現代人の私たちが血液型にとらわれすぎているのかもしれませんが、それでもやっぱり気になりますよね。

新しい証拠が出てくることを祈っています!

性格について知りたいというかたはあわせてこちらもお読みください。

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xiao

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投稿者プロフィール

歴史と犬の話題があれば生きていける、そんな人間です。
平安時代と戦国時代が好きですが、調べ出したらどの時代でも面白いです。歴史って本当に面白いものですね。
「トリビア」な話題を、みなさんにわかりやすく面白く読んでいただけるように頑張ります。

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