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そんなにモテたの!? 平安時代きってのプレイボーイ 在原業平の魅力とは

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『 世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし 』

聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。

「世の中に桜なんかなかったら、いつ咲くかな、ああ、もう散るのかな、なんて心煩わされることなく春を過ごせたのに・・・」と詠ったのは平安時代の歌人、在原業平です。

この歌は、表向きは桜の歌ですが、実はこれは恋の歌として読めます。

「恋を知らなければ、貴方にさえ出会わなければ、今日は会えるかな、明日は会えないかな、なんて恋煩いに苦しむことはなかったのに・・・」(筆者訳)

ちょっといいかな、なんて思っている男性から、こんな手紙が届いたら女性はみんな「キャー!!」となりますよね。

こんなロマンチックな歌を数多く残した稀代のプレイボーイ『在原業平』、そのモテぶりに迫ります。

平安時代、モテる男の条件とは

平安時代の人々の様子を思い浮かべる時、私たちは、源氏物語絵巻や「百人一首かるた」の絵を思い出しますよね。

でも、それらを見ると、え?これがほんとに美人(美男)なの???と首を傾げてしまうほど、現代人の考える「美しさ」とは違って見えます。

平安時代、美しいとされる人の特徴は、代表的な「引き目、かぎ鼻」をはじめ、色白、ふっくらとした下膨れな輪郭、広いおでこ、おちょぼ口、そして女性であるならば長い長い黒髪でしょうか。

引き目とは、線を引いたような細い目のこと。上品で高貴な姿とされ、これが美の基準となりました。

絵巻などで見ると、顔だちは男女の差なく、同じような特徴に書かれています。

顔立ち以外での美人の条件の一つが髪の毛ならば、男性の場合のモテる条件とはなんでしょう。

それは「和歌」が上手なことです。

そして当時の主な武器では弓矢なので馬術に長け、さらに身分が高い、血筋が良いなどの、出自の高貴さがあればもう最高です。

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総数3733人!? 伊勢物語に見る数々の浮名とエピソード

在原業平と言えば、「昔 男ありける」ではじまる『伊勢物語』が有名です。

伊勢物語の主人公は業平その人である、と思われていました。もちろん現代の私たちもそんなイメージですよね。

今では、業平をモデルに書かれた架空の人物とされています。

有名な歌を追いながら、その代表的なエピソードを見てみましょう。

筒井筒

子どものころ井戸の周りで一緒に遊んだ幼馴染とは、成長するにつれお互い顔を合わせるのが恥ずかしくなり疎遠となってしまいました。

それでも二人お互いを忘れることができずにいて、年頃になった女の方も家に来る縁談を断り続けてきました。そんなとき男から歌が届きます。

” 筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに ”

(井戸のふちの高さにも足りなかった自分の背が、いつのまにか伸びて井戸のふちを越してしまったよ、貴方を見ない間に)

そして、女は喜びを胸に、返事の歌をを書きました。

” くらべこし わりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき ”

(あなたと比べて遊んだ私のおかっぱ髪ももう肩まで伸びました。大人になる儀式の髪上げの儀、あなた以外の誰が私の髪をあげてくれるの)

・・・これは初恋でしょうか。この遠回しな言い方がじれったくて初々しいですね!

夢かうつつか

伊勢への勅使として派遣された男は、斎宮の丁寧なもてなしに喜びます。二日目の夜、男は斎宮に今夜会おうと告げます。けれども人目があるので会う訳には行きません。皆が寝静まった夜、同じように眠れずにいた男の元へ斎宮が訪ねてきます。男は自分の寝所に招き入れ、つかのまの甘い時間を過ごします。夜も明けぬうちに帰っていった斎宮からは、朝こんな歌が届きました。

” 君や来し われはゆきけむ おもほえず 夢かうつつか 寝てかさめてか ”

(夕べはあなたが私のもとへ来てくれたのでしょうか、それとも私があなたの所へ行ったのでしょうか、あれは夢それともうつつか、私にはよく分かりません)

これを読み嘆いた男は返事の歌をおくります。

” かきくらす 心のやみに まどひきに 夢うつつとは 今宵さだめよ ”

(心が迷ってしまった夢だったのか、うつつだったのかは、今宵もう一度お会いしてきめましょう)

・・・斎宮とは神様に仕えるもっとも清い身を必要とされるお役。そんな女性との密通は一大スキャンダルを巻き起こしました。この後斎宮は一度の逢瀬で懐妊してしまったとされます・・・

つゆと答えて

男は、到底結ばれることない尊い姫と、若いころに知り合い愛し合っていたのですが、やがてその姫が天皇の后となることが決まってしまいました。思い余った男は姫を奪い、夜に逃げ出してきました。背に背負い走っていると、草に付いた露を見たことがない姫が「あのキラキラしてるのなあに?」と問います。

その後、芥川のあたりで激しい雨と雷におそわれあわててあばら家にはいりました。そのあばら家に鬼が出るともしらずに。姫を奥に押し込み自分は入り口で矢筒をもって警備していましたが、その間に姫は鬼に一口に食われてしまいました。ひどい雷雨の音で、男のところに姫の悲鳴は届かなかったのです。夜が明けて誰もいなくなったあばら家の中を見て、男は地団太を踏んで嘆いたのでした。

” 白玉か なにぞと人の 問いしとき つゆと答えて 消へなましものを ”

(彼女をここへ連れてくる途中「葉の上に光るものは何ですか」と問われたその時、「あれは露だよ」と答えてあげて、露が消えるように私も消えてしまいたかった)

・・・今度は天皇のお嫁さん候補を奪ってしまいました。障害があるほど燃える、なタイプなのでしょうか。鬼に食べられた、というのは姫がお家の人に連れ戻されたという意味のようです。

鎌倉時代に作られた伊勢物語の注釈書『和歌知顕集』では、業平が関係をもった女性がなんと、3733人とされています!!

不遇な運命が艶聞に拍車をかける

『日本三代実録』では、業平という人物をこんな風に書いています。

” 業平、体貌閑麗、放縦不拘、略無才学、善作倭歌 ”

これは、「業平は容姿端麗で、自由奔放で好き勝手な行動をとる人物であり、漢文や漢詩などの教養はほとんどないが、和歌に優れている」という意味です。

六歌仙、三十六歌仙にも選ばれていて、また百人一首の絵札を見ても、業平は弓を背負った姿に描かれ、武人としても優れていた事を表しているかのよう。

さらに、業平はあの平安京を拓いた桓武天皇の曾孫で、平城天皇の孫。申し分のない血筋です。

モテる要素を一身に纏った在原業平ですが、時代は平安。

藤原氏の専横による摂関政治や陰謀渦巻く王朝で、810年の「薬子の変」では祖父の平城天皇が、842年の「承和の変」では父:阿保親王が、それぞれ時代の波に翻弄されて地位を失い(父の阿保親王は死後復権している)、業平自身も天皇の血筋ではあるものの、華やかな王朝の第一線からは遠くなってしまいます。

在原業平の作とされる『伊勢物語』には、男女の色恋話がたくさんでてきます。

実在の人物をにおわせて書いているので、まるで実話のようですが、これはあくまでも創作です。

伊勢物語の主人公を業平自身とすると、実際の史料として残っている業平の経歴や人物像と食い違うものになってしまうのです。

まとめ

歴史というのは勝者が残すもの。公的な文書は時の権力者が自身の都合の良いように書くことが当たり前だった時代です。

政治の中枢にいないと声はあげられず、あげたとしてもただの一官僚では握りつぶされてしまいました。

だから、藤原氏ゆかりの女性たちを巻き込んだスキャンダルをも、あえての物語形式で発表する。問い詰められたら「これはフィクションです」と言える逃げ道を作っておきながら。

もしも恋愛のスキャンダルを、時の権力に対する反発心と読むとしたら。

政争に敗れ、言霊信仰の時代に「(都ではなく)原にでも在れ」と、在原の姓を賜ることしかできなかった一族の諦念にも似た心情をみるとしたら。

プレイボーイ在原業平の自伝的ものがたりとされている『伊勢物語』も、違った読み方ができるかもしれませんね。

北村美佳子

投稿者プロフィール

いにしえに想いを馳せて、一人涙し、一人ニヤつく。そんな日本史をこよなく愛するライター。重度の活字中毒でもある。愛読書は梅原猛氏の本。
日本史が好き過ぎて、記事を書きながら悶絶することも多々あるけれど、いくつになっても好きなものは好きだと言える女でいたい、そう願って邁進中であります。

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